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社会貢献活動-ラオス支援活動
トップ > 社会貢献活動 ラオス支援活動 - 2008年宮崎美里のラオス視察記(1)

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出発を揺るがす緊急事態が発生

「いよいよ明日はラオスに向けて出発!」という時に、恐れていたニュースが飛び込んできてしまいました。数日前から動向が心配されていたバンコク国際空港が、封鎖されてしまったのです。。。

ラオスへは直行便がなく、タイのバンコクを経由して現地入りする予定でした。さてどうするか。

現地ではクラスター爆弾の撤去と学校建設の話が着々と進みつつあり、今ラオスに飛ばなければ自分たちが主体となるプロジェクトの進行に立ち会えなくなってしまうという状況だったため、絶対に諦めるわけにはいきませんでした。

「何が何でもラオスに行く」と決断し、方法を画策すること一日。といっても、動き回ってくれたのは中川(代表取締役 中川信男)。海外へ行くのがこれが2回目の私(宮崎美里)は、大人しくその時を待つよう中川からお達しを受けていました(汗)。

そしてついにその時が。ベトナムのハノイ経由という別ルートを確保!思わぬ事態に見舞われながらも、数日後にはラオス入りできることになりました。「物事を実現できるかできないかは決断が全てなのだ」ということをこの時改めて教えられました。


それでは、気を取り直していざ出発!

しばし視察記にお付き合いいただけますと幸いです。



サバイディ!ラオス

■ 激しすぎる気温差、そして夜空に現れたニコちゃん星

私たちがラオス入りした12月1日、首都ビエンチャンでは皮膚を刺すようなジリジリとした日差しが照りつけていました。まるで真夏の暑さです。現地で合流したテラ・ルネッサンス※1のスタッフ江角さんと中川と市内を歩いて回る間中、私の背中には吹き出た汗が伝い続けていました。半袖なのに、です。

加えて、12月のラオスは乾期にあたり、空気が非常に乾燥していました。
日頃、唇の乾燥には縁がない私ですが、水分が奪われ気付けば唇の皮が赤く腫れあがっていました。リップクリームを携帯していればマシだったのでしょうが、仕方ありません。
乾期にラオスを訪れる方は、どうぞ日焼け止めとリップをお忘れなくお持ちくださいね。


そんな日中の暑さから一変、夜は一気に気温が下がります。さっきまで南国だったのに、突然日本の12月と変わらない寒さになるのです。暑い東南アジアでセーターを着るなんておかしな人、と思われるのは嫌だなぁと鳥肌をさすりながら頑張っていたのですが、頑張り切れず。寒さに耐えかねセーターを着込んでしまいました。

それなのに宿泊先のホテルには薄手の布団1枚しかなく、暖房もなし。このまま寝れば風邪は免れません。ということで最終手段。日本を出るときカバンにしまい込んだはずのジャケットを取り出し、がっちり着込んで就寝しました。まさかホテルのベッドで、ジャケットを着て寝ることになるとは。。。ラオスの寒暖差、恐るべしです。


少し時を戻して・・・

ニコちゃん星!

日の入りと共に辺りが暗くなり、寒さが増してきた頃の話です。

大河メコンのほとりでミーティングをしていた私たちの頭上に、奇跡とも思える光景が現れました!2つの星の下に三日月が横たわり、ニコちゃんマークのような表情をつくりだしていたのです。まるで世界が微笑んでいるかのよう・・・。これまで見たことのない光景に興奮しながら、ニコちゃんが消えてしまう前に!と、大慌てでシャッターを切りました。

不発弾撤去&中学校建設プロジェクトを進めようとしているラオスで、このような光景に出会ったことに、これから何かすごいことが起こる気がする!と、私の胸はざわざわ・・・。

メコンのほとりで、とても素敵なものに出会うことができました。



■ 険しい山道を大移動

ニコちゃんから一夜明け、翌朝6時30分。
朝靄の立ちこめる中、ラオスコーヒー一杯をすすり、ラオス東北部シエンクワン県へ向かう長距離バスに乗り込みました。

いよいよクラスター爆弾撤去、中学校建設予定地であるシエンクワン県への移動です。

車内を見渡し、「韓国から来たやつやな。スミンちゃんが小さい頃にきっとこんなバス乗ってたはずやで!」と中川。韓国や日本で使われなくなったバスやトラックが、ラオスでは今も現役で活躍しています。

長距離バス

お古の車体といえど、カラーの車体に、破れていない座席、窓もしっかりついて、「それなりの過酷な旅に耐えられる者」という参加条件のもとラオスにやってきた私にとっては、十分すぎるバスでした。山道もアスファルトで舗装されていて、痛くなる予定だったお尻も痛くならずに済んでしまいました。「東南アジアの山道を行く=おんぼろバスで悪路を突き進む」というのは、私の勝手思い込みでした。

少しばかりまいった出来事も。それは、やたらと多い停車と大音量で流されるタイ音楽。出発地点からほんの数百メートルで突然バスが停車。誰か乗せ忘れた?!と思いきや、運転手さんたちの朝ご飯タイムでした。道路脇のお店で調達した朝食を立ちながらモグモグ。こんな風にちょっと走っては、気の向くまま休憩を挟むので一体いつになったら目的地に辿り着けるのか、そんな感じでした。THE・ラオスペースです。

そして、大音量の音楽。
車内中ほどに設置された手作りのスピーカーは、不運にも中川と私の真上・・・。運転席に音楽が聞こえるようボリューム設定をしてくれるものだから、脳天までガンガンと響くのです。誰も文句を言わないので、ラオスの人はみんな平気なのかと思い見渡すと、意外にも結構迷惑そうな顔をしてたりして。思わず笑ってしまいそうになりました。
ここにおとなしいラオスの人々の性格を垣間見た気がしました。「郷に入ったら郷に従え」ですから、私も大音量の音楽に耐えましょう。


首都ビエンチャンを出発して7時間ほど。
バスは曲がりくねった山道をひたすら登り続けていました。エンジンが焼けついてしまわないよう、ローギアでゆっくりゆっくり登っていくため、一峠越えるだけでもかなりの時間がかかっていました。
ビエンチャンからシエンクワンは飛行機を使ってしまえば、わずか30分の距離ですが、地上の山道を行くことで、なぜラオスに大量のクラスター爆弾が撒かれたのか、ひとつの要因が見えてきました。

連なる山々

その要因とは、ラオスが山岳国であること。

山道を走るバスから見えるものもまた、高く連なる山々なのです。開けた土地は所々に点在するだけ。
そんな山深い所にわざわざ降り立ち、労力とリスクをかけて地上戦を続けるよりは、空から空爆してしまおうと誰もが考えるでしょう。

山に囲まれていますから、狙いを定めて大きな爆弾を落としたところで、威力は山の壁に遮られてしまい制圧できる範囲は限られます。広範囲に爆弾を落とす必要がありました。さらに、対空砲や地対空ミサイルの脅威もあり、米軍のパイロットは低空から目標物に向かって爆弾を正確に投下することが困難だったと言われています。命中精度の低さを大量の爆弾をばらまいてまわることで、カバーしようとしたのです。

こうして使われたのがクラスター爆弾です。
1つの親爆弾から数百〜数千の子爆弾が放たれ、さらに炸裂した子爆弾から数百の鉄球が飛び散るクラスター爆弾は、ピンポイントで投下できずとも被爆面積を稼ぐ有用な兵器だったのです。

ラオス北部には、ベトナム軍流入によって共産化されていったラオスの村や共産主義勢力の拠点が築かれており、ラオス南部には、北ベトナム軍が、「アメリカ軍と戦う南ベトナム解放軍」に支援供給を行うために切り開いた「ホーチミンルート」が通っていました。アメリカは共産主義勢の拠点を潰すため、支援供給を断つためにラオス国土に空爆を加え続けました。

さらには、悪天候や敵からの対空攻撃により目的地に投下できなかった爆弾を、ラオス国内に捨てるということまで行われていました。米軍基地に持ち帰ると安全面やセキュリティチェック等で、色々と面倒があったためと言われています。


こうして、ベトナム戦争中ラオスには計り知れない量のクラスター爆弾が落とされました。
その年月は9年にも及びます。それも、8分に1度ともいわれるペースで空から爆弾が降り注いだのです。9年間も爆弾を落とされ続けたラオスの人々は、美しいはずの青空ももはや美しくは見えなかったでしょう。自分の大切な人や日々の何気ない幸せな暮らしを奪う爆弾が、止むことなく降ってくるのですから・・・。


そこに国土が位置していたがために戦争に巻き込まれていったラオスの運命を、連なる山々と所々で出会う山岳民族の人たちをじっと眺めながら考えていました。


バスに揺られること13時間。
ようやくシエンクワン県のバスターミナルに到着しました。外はすっかり暗闇で、バスのタラップを降りると、ビエンチャンよりも格段に冷え込んでいます。迎えに来てくれたMAG※2シエンクワン事務所の責任者ソートさんの車の気温計が示した、外気温はなんと3度!

親族を迎えにやって来ていた地元の人たちが、白い息を吐きながら「よう帰ってきた!」と、久しぶりの再会に抱き合って喜んでいる姿が印象的でした。



■ 極寒の中で水シャワー

シエンクワン滞在中お世話になるゲストハウス。15分使用可能と言われたシャワーは、使用数分で水になってしまいました。

土ぼこりだけを流し、超特急でバスタオルにくるまりガタガタ。冬に水シャワーはつらいです。

隣のベッドの「薄い毛布」を引き剥がし、自分のベッドへ運び、「薄毛布2枚重ね」。そしてこの日も結局ジャケットを着込んで眠りにつきました。いよいよ明日は、不発弾撤去現場と中学校建設予定地を訪れます。

おやすみなさい。

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テラ・ルネッサンス

※1 特定非営利活動法人テラ・ルネッサンス:カンボジア、ウガンダで地雷、小型武器、子ども兵(少年兵・少女兵)に取り組む京都の国際協力NGO。

テラ・ルネッサンス
http://www.terra-r.jp/
鬼丸昌也氏(テラ・ルネッサンス 理事長)と中川信男の対談
http://www.prema.co.jp/crs/interview.html

 

MAG

※2 MAG(Mines Advisory Group):イギリスに本部をおく、地雷・武器・弾薬撤去に取り組む支援団体。カンボジア、ラオスをはじめ、世界各地で活動を展開している。1992年10月に他の5つのNGOとともにICBL(地雷廃絶国際キャンペーン=International Campaign to Ban Landmines)を始め、1997年にICBLは、ノーベル平和賞受賞している。

MAG(日本語)
http://www.maginternational.org/ja/mag-international/

 

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